産業構造の推移 − 第8回 政治と物流不動産『政権交代で何が変わるか』
変わる、変われば、変えなくてはという流行語は現実を見ていない。産業連関論というアカデミックでは、スカイライン分析というGNPに占める産業マーケットと推移成長率で特殊なグラフが描かれる。
昭和30年、1955年から始まった日本の高度経済成長は、農林水産一次産業から第二次加工産業である衣食住耐久消費財の膨張と日本列島改造に 伴った政府公共支出というトピックを経て、時々家電や自動車のアメリカ競争を転換としてピークを迎えた。21世紀には人口減少、少子高齢化が避けられない として、省力産業、高付加価値産業として金融立国を目指したが、師範たるアメリカに撹乱されて事実上の計画頓挫となってしまった。
続いて起きたリーマンショックも金融産業偏重におけるおとなの失敗であり、人的被害なら再発防止や金融規制という政策で一件落着である。しかし、 行き過ぎた市場経済の理念は失望して、「個人の欲望による市場調整がもたらす経済成長」は地球環境や資源枯渇情報の非対称性により乱高下を繰り返すことが 明らかで、人類の幸福からは徐々に遠ざかる結果となった。
最初に我が国が、次に欧州、北米が迎える人口減少と依然とした人口爆発の南北問題を解決するためには、BOP(ボトムオブピラミッド)世代を視野 に入れた新産業が必要で、それはともすれば先進国が歩んできた経済成長牽引産業の耐久消費財を圧倒的な低価格、省資源によって提供できるか否かに掛かって いる。そのための技術開発やロジスティクスを駆使したグローバルSCMをどの国が最初に手がけられるかという新競争時代が始まっているとみなせるだろう。 各国で始まっている産業再編、M&A過熱による企業統合は、かつてのコングロマリット化に通じるものであり、国境をいちはやく超えた企業に勝算が ある。
ウォールマート、イケア、ノキア、新生中国の資本主義が世界を席巻し始めていることを見れば、我が国産業の成長は貿易立国にふたたび界遊することが明らかである。
国土にハブ港、ハブ空港を目指すにはスタートダッシュが遅れ周回遅れとなっている現状では、内需のための物流と外需外貨の物流がふたたび分離して 行く姿が読み取れる。国土を捨てて新天地を求めた架橋、インド商人の歴史を学び、アジア国境を透かし線にみなすアジアユニオン構想まで広げて行くべきだろ う。通貨統合も可能性としてあるだろうし、国際化慣れした若手人材のハイブリッド人脈に期待することでオリエンタルを再び稀少性のある文化財として世に広 めるチャンスもあるだろう。
世界同時不況のリカバリーとして、反省することは構わないが内需志向に立ち返っての環境、観光、医療介護だけでは産業規模が足りない。
経済規模と国民の幸福はかつてのようには連携しなくなるだろうし、「いつかはクラウン」「夢のマイホーム」は「移動手段の最適エネルギー化」「小世帯には広すぎる住宅」の反省から、縮み思考が復活するに違いない。
稼ぐ国際舞台と幸福に過ごす国土というのが、長期の夢ではないだろうか。
胡蝶の夢にあるように、老子はユートピアを自在と自由に求めていた。我が国も文化伝統芸能を支える国語の力で世界にアピールを続けて行くことが正しい道ではないだろうか。
伝統文化芸能カルチャー教育にも物流は必要とされ、その規模がかつてないスピードで広がることを想像出来るかどうかに掛かっている。ITCとは情 報とコミュニケーションの代名詞だが、コンテンツを語ることは今までなかった。ようやく出版印刷業界の凋落が現実味を帯びた途端にキンドル、iPADとい うハードとソフト、コンテンツを合体化した産業が生まれ、急激に成長を始めている。
低価格耐久消費財が大きすぎず、小さすぎず、しかもうんちくと言うコンテンツを含んだ商品サービスになることで、世界に受け入れられることは確実である。かつての成功と応用した商品開発が類似のしかし全く異なる産業として再生してゆくだろう。
(イーソーコ総合研究所・主席コンサルタント・花房陵)