なぜ内需の代表格、百貨店は凋落したか − 第10回 政治と物流不動産『政権交代で何が変わるか』
百貨店、スーパー、コンビニの売上前年割れ急降下が止まらない。昭和時代の流通発明がその機能を終えようとしているかのよう だ。一時しのぎの低価格商戦は身を削り、合併や増床のための虎の子投資もほとんど効果がない。品揃えを増やしても、店を拡張しても来客数が増えてこない。 売上が下がるのは顧客支持が下がっているという単純な理由であり、支持されない店は退場に向かうしかないだろう。
顧客が何を求めているのか、様々な分析や理由付けが行われているが、小売業にとっての強みとは、顧客満足ではなかった。小売業は業態よりも立地を 言い、固定客より通過流動客を狙っていた。まるで網で魚をすくうようにターミナルに立地して、入り口を多く作り、専門店に場所を貸し、品揃えは問屋に任せ ていた。顧客は着飾り歩き回るついでに百貨店に吸い込まれ、財布を開いていた。消費行動が変わるにつれて、百貨店は態度を改めることなく支持を失っていっ た。立地や品揃えに勝る消費行動のトリガーが登場してもなおである。
茶の間のテレビ、インターネット、ポストに届くカタログ、購買を煽るような雑誌と新聞が商品を買うなら電話をかけよ、とささやいているにも関わらずに店構えを拡大するしか道を選ばなかった。
どうすれば良かったのか。すでに商圏という消費行動の距離はなくなり、時空を超えるネットと言う手段を手に入れた消費者は、店に行くことの意味を 失いつつある。賢くなった消費者を翻弄することができなくなった。商品サービスのアイデアや生産そのものを行う消費者、プロシューマーの台頭は予測されて おり、対応が必要とされていたにも関わらずである。
「ワタシの店」という感動をふたたび蘇らせるには、立地も品揃えも不要である。「私のことをよく知る店長」が必要なように、アウトリーチ(御用聞き)と専用の購買履歴つきネットカタログが物流技術で実現出来る。
店舗を縮小して店員を増やし、顧客担当による訪問販売とインターネットによるカタログを持ったとき、平成の百貨店が蘇るだろう。
時代が変わるときには不要なものを明らかにして、必須のモノを強化することが必要なのだ。規模の経済性が効果を失うなら、範囲と連続の経済性を追究すべきものなのだ。
(イーソーコ総合研究所・主席コンサルタント・花房陵)