倉庫好きに出会った時のための傾向と対策 
筆者自身は、倉庫を格好いいと考える一派に属しているといわれる。おそらく事実であろう。筆者自身、実際に倉庫は格好いいと思う。その一方で、その一派は泡沫的少数派であり、変わり者あつかいされる場合が多いという点も、自覚しているつもりである。
世間の評判は、まあいい。倉庫が格好いいと思うからといってもてるわけではなし、別にもてたいと思って倉庫を好きになったわけでもない。誰かに迷惑をかけるわけでもなく、ただ倉庫を愛でるのみである。筆者も今のところ、それほど大きな迷惑はかけていないと思う。いやかけていなければいいのだが。ただ、倉庫に深く関わる物流業および運送業に従事する方々には、倉庫を格好いいと思う一派が存在するこの現実に向き合っていただきたいのである。
しかしながら、倉庫のどこが格好いいかという点になるとこれは非常に難しい問題である。そもそも倉庫は一個の建築物でありながら特定の機能のみを果たすべくつくられている。このような構造物はおのずと機能美、あるいは用の美を備えるものだが、ではそのどこが好いのかというと実は見る人次第であって答えは無い。ある者は建物のシェイプに魅かれ、ある者は設備に魅かれる。そしてまたある者は、人が動き物が動いていくその様に魅かれるのである。
例えば建物の造形美。典型的な倉庫では、空間効率を最大限重視した四角四面のシルエットに折板のひさしがアクセントを加え、その下に拡がるトラックバースが倉庫の「動」を象徴するかのようなたたずまいを見せている。そして天井を支える梁。そこには機能美のなかに込められた設計者の意思が、確かにある、というようなことを興奮してのたまうから、変わり者あつかいされるのである。繰り返すが自覚はしている。
ただ一点、共感していただく必要はまったくないのだが、どうか理解していただきたい点がある。それは、倉庫を使う方たちから見れば「恥ずかしい」「格好悪い」「みっともない」と思うような点に、倉庫好きは往々にして興味を示すという点である。例えば、床に刻まれたフォークリフトのタイヤの跡。倉庫を使う方はこれを汚れと見るだろう。しかし倉庫を愛する一派は、これを倉庫の好もしい部分と見ることがある。タイヤ痕は、フォークリフトが日に何度も行きかっている証拠なのである。柱の角に貼られた養生材も、ちょうど台車の位置に付いた壁の傷も、ずいぶん昔から貼られているであろう注意書きも、倉庫が倉庫としての機能を果たし続けてきた、そのなによりの証しなのである。すべては、倉庫を倉庫たらしめんと不断の努力を続けてきた先人から受け継いだ、大事な遺産なのだ。その跡ひとつ、その傷ひとつ全てにストーリーがあるのだ。
「フォークリフトのタイヤ痕など恥ずかしい」「古い倉庫だからみっともない」。倉庫を使う方の感覚としては、それが正常だと思う。恥ずかしいと思うのは、大事な荷物は綺麗で新しい倉庫で預かりたいという思いがあるからだろう。だから倉庫を使う方には、これからも恥ずかしいという感覚は持ち続けていただきたいのだ。矛盾するようだが、こんなタイヤ痕や張り紙なんかが恰好良いんでしょ? という倉庫を、少なくとも筆者は好きになれない。汚れや傷みをわざと残しておくような感覚の持ち主は、現役の倉庫を管理する者としてふさわしくない。
そこで、倉庫を使用して経済活動を続ける方々に、次のようにお願いする次第である。倉庫を格好いいと思っている可能性がある者に遭遇した際は、これまでどおりちょっと困ったような表情を浮かべつつ、内心で「変なのが来ちゃったなあ」と笑っていただきたい。倉庫好きと呼ばれる一派は、時にとんでもないモノを格好いいとか美しいとか好きとか家に持って帰りたいとか言い出すことがあるものなのである。その点、どうかご理解いただきたい。その上で、業務を滞りなく続けていただければと思う。
久保純一 2017.08.20