壊滅的被害が進行中 − 第5回 政治と物流不動産『政権交代で何が変わるか』
1995年をピークに我が国の産業は一気に低成長というか凋落が始まっている。GNPも伸びず、消費も不振で貿易で儲けても国に税収は落ちてこない。貿易黒字は為替によって収支が合うようにマネーゲームが仕掛けられる。
失われた15年とは良く聞くがどんな産業が生き延びてきているのか。05年まででは、目指したとおりに金融立国業界が不動産業を引き連れて生き延 びていたが、リーマンショックと銀行規制によってすでに青息吐息の状況まで落ちてきている。なにより血税投入によって復活したはずの都市銀行がいまだに赤 字無税では、日本の個人資産までいつかは消え失せそうでもある。
産業の転換が明らかに動き始めたのはインターネット元年の95年だったが、手は打てていない。その後は内需振興策も届かず、北米の好調さによって生きながらえてきたわけで、その反動がリーマンショックでもあった。
最近の製造流通の復活は、景気振興補助金や免税による自動車、デジタル家電業界、かろうじて元気なアジア諸国の購買力によってカンフル剤を受けて入るが、これこそ政策でも政治でも語られていない外需頼りの神風的幸運でしかない。
2010年新春、民主党マニフェストや初の施政演説によって「新成長戦略」が語られたが、実体とはかけ離れた夢と理想と『今までとは違うこと』を 宣言することだけに終始している。転換を言うなら移行措置や経過を述べなくては不安が募るばかりで、計画途上のダムをただ中止宣言すれば済むものではない のは、住民混乱が示している。
自民党政策でも55年前にはトヨタの倒産危機を放置したし、なにより国が先導して成長した産業は何もなかった。石油も道路を敷く国土もない中で、 どのリーダーが自動車産業を基幹産業になると読んでいたのか。医科学、製鉄技術、情報産業すら国に育成を乞うたモノはなかった。後追いで規制が作られ、そ のための天下り機関が増殖したに過ぎない。我らは国には頼らず、世界に飛び出し産業を成長させてきたが、その付けは厳しいものであった。90年代の好調小 売業には日米構造協議の名のもとに外資の参入を飲まされ、00年の金融立国構想では国営銀行がファンドに解体され、追い銭まで保証した挙句に補てんした血 税をそっくり持ち逃げされた。
その本質が政権にあり、交代を望んだ訳だが振れた振り子の戻る先が、北欧型福祉社会への夢想実現では落差が大きすぎる。行き過ぎた市場論理、グ ローバルスタンダードというアメリカイズムを拒否するなら、高福祉EU型とは行き過ぎである。消費が低迷しているからといって、家計の財布に補助金をつぎ 込んでも貯蓄に向かい、わずかなご祝儀買い物しか見込めない。同時にポイントサービスやら特別免税でエコカー買い替えを促進しても、消費の先取りに過ぎず 来年は反動が待っている。連続した景気促進には次期産業としての雇用や産業育成措置を伴いながらの財政出動が必須だが、肝心の財源が金融立国夢プランで雲 散霧消してしまった。
元気の良いのは実年族で趣味や旅行にこの世の春とは言えないながらも、堅実消費生活をエンジョイしている。彼らの購買は実利が必要で、住宅リフォームや趣味実益の旅行や映画演劇芸術などに向かう。
北米輸出一辺倒からアジアシフトへの切り替えが遅れたのは、理由もあるが遅れを取り戻すにも先憂後楽の外交が不安だからだ。
沸騰中国への進出と同時に早期の撤退も現実には起きている。華々しい出征にはメディアも多くを語るが退却将兵には目もくれないのが現実だ。国力を 守るには外交国防という政治戦略が欠かせないが、民主党マニフェストには一切が語られてこなかった。日米同盟50周年行事だけで、空手でアジアに出て行く わけには行かないのだ。
政治に頼るのは弱者の論理かもしれない。政権交代によって一切合切をご破算にしてかつ政治の基本たる外交国防税制が語られない現在、どんな産業も 国民も幸福のシナリオには登場できない。あるのは、振れすぎた振り子の対角にある北欧高福祉社会と言う穏やかなモデルなのだが、これすら解説も行われない でいる。海図なき航海に我が国は進み始めてしまった。頼れば裏切られるほどに被害は拡大しつつあり、小さな打ち手の連続で凌ぎを続けるしかないのが現在の 日本の姿なのである。
(イーソーコ総合研究所・主席コンサルタント・花房陵)