争うことの意義と − 第8回 コントラクトマネジメント(契約)
契約書に書かれた義務と責任について、紛争となった場合、もしくは第三者を交えての交渉が決裂した場合、最後の手段として訴訟の道が残ります。しかし、訴訟によって仮に真実の評価が行われ権利と義務が明らかにされたとして、賠償金額が妥当として認められたとしても、支払う義務と受け取る権利を争ったつもりでいても、金銭に代表される経済的対価の実行は、また次の段階であることを知っておかねばなりません。
たとえば百万円の争いで勝訴しても、その権利は判決文という文字上の問題であって現物ではありません。物流事故の損害賠償を争って、黒白の決着や金額の妥当性が確定しても、支払うか受け取れるかは別の裁判が必要になることがとても多いのです。
信じがたい事ですが、命令と実行は別物なのだ、という事例です。
支払いを明示した裁判の決定通知書は確かに相手側に届きます。法廷で裁判官から伝達されることと命令書は同じであったとしても、命令に従えない事情があれば、それは別の裁判を必要とすることになります。裁判の結果を不服として、上告する(上級裁判所に掛け直す)という事は別問題です。
具体的に言えば、損害賠償訴訟での勝利は命令書を取り付けることですが、命令を実際に実行するのは相手であり、上告しなくとも相手側に命令に従えない事情がある場合、賠償金の手元不如意という資金準備が足りないときには「払いたくても払えない事情」という状況になります。すると、命令書はあっても賠償金を支払ってもらえない事態が生じるわけです。
敗訴側が命令書に従うかどうかは相手次第という、考えればおかしな事態が生じることが大変多いことにも覚悟しておかねばならないのです。
命令書を確実に実行させるには、財産の差し押さえ執行権を確保するための、別の裁判が必要になり、そして強制執行を執行官が行うこととなったとしても、差し押さえる物件がどこにあるか、資金のありどころはどの銀行にあるか、金庫はどこに存在しているかは、あなたの方で情報を集めなくてはならないのです。
争った100万円がどこにあるか、これを調べるのがあなたの側の代理人である弁護士事務所だとすると、調査費用が再び必要となります。そして相手が命令書を実行できない場合には、執行権を裁判所に認めてもらうための申し出や手続きが必要となり、これもまた裁判費用として負担が生じることになるのです。
争うべき事実が明らかとなり、あなたの有利が裁判で認められたとしても、命令書が発行されたとしても、争った賠償額を手に入れるためには再びあなたが動き、手続きを行い、執行官が取り立てができる状況まであなたが整えなければならないとしたら、これはため息以外の何物でもありません。
日本の裁判制度はこのようになっている、という事実を覚悟して争わねばならないのです。争うことの疲労感を十分に覚悟して、それでもあなたは争うことを決意するのでしょうか。ビジネス契約におけるこのような背景は、実は契約にうたっていたとしても権利と義務は厳格に定められるものではなく、あくまでも当事者同士の信頼関係以上のものは保証されていないことに気がつかねばなりません。紳士協議が行われないといった信頼関係が崩壊した途端、契約書の文言やその後の真実の争い、損害賠償の方法論は現実的にも破綻していると考えねばならないのです。
契約はリスクを担保するものではありますが、それは双方平等であり、信頼関係が確保されている中での有効性です。もし、信頼が損なわれ、紛争となった途端にどちらも不利となり、有利の勝訴を勝ち取ったとしても何ら保証されるものがそこにはないことに気づく必要があるのです。全く争いは一銭の得にも成り得ないことを覚悟すること、ビジネス契約の大前提なのです。
(イーソーコ総合研究所・主席コンサルタント 花房 陵)