真実は社外にある - 第3回 物流改革大全
真実は社外にあり、ニーズは常に変わる。私たちは日々、同じことの繰り返しで人生を送るわけではありません。企業も毎日が不連続です。ましてや、物流に滑らかな一週間はなく、波動の連続です。忙しさと慌ただしさ、焦りと緊張、笑いと叱責、スクワットダウンとストレッチハイ。
規制緩和によって自由競争が始まり、「安い、早い、うまい」が一気に加速し始めたのです。マーケットはどんどん飽和して、それでも新規参入社者が後を立ちません。ほとんどがスピンアウト、つまりは同じ仲間だった者が独立して、看板を新しくしたのです。トラック台数も倉庫件数も変わらないのに、会社の数が急激に膨らみ始めました。
■貸し手から借り手へ
規制で守られてきたというのは、物流サービスの需要と供給で言えば供給側の事情でした。料金は数年ごとに自動的に値上げが許されており、業法で定められた契約条件が標準約款という書式で準備されていました。貸し手優位の時代でした。
ディレギューレションとは、構造の逆転を意味しています。守られてきた者は自分で攻めなければなりません。保護はなくなり、競争一途に強いものが生き残れるような自由競争が始まったのです。需要と供給では、需要側の偉い。お客様の時代に入ったのです。
料金も届出制という名目だけのものになり、決めるのはお客様です。すると、借り手市場となって、激しい価格競争に陥りました。同じ場所で戦うなら、安いほうが良い、安くなければならない、と足かせ、首かせに縛られて苦戦が始まったのです。
■マーケット変化
同じものなら安いほうがいいに決まっています。では、本当に同じものなのでしょうか。物流はサービスですから、瞬間が勝負です。同じことは、本当は繰り返されないのです。明日はまた新たなスタートなのです。サービスは再現性と保証ができない、独特のものです。そのことに気づいていない、気づかせてこなかったら、価格競争しか手はないのです。競争がはっきりと別れてしまいました。
ディレギュレーションは新しい切り口を求めて行われるものです。新しさとはどこにあるのか、それが改革のスタートだったのです。
ここで競争するなら、あそこへ行けばまだ穏やかかもしれない。物流規制は地域の垣根を外してくれました。地域限定の免許だったものが、日本全国どこでも活動できるように、チャンスが広がったのです。気づいた人は少なかった。東京に営業所を机1つで開業して、マーケットの大きさに喜んだ人もいました。地域を離れて首都圏にしか営業マンを送り込まないように、組織を変え、営業活動の絵を描き直した人もいました。
不景気の波がやってきて、あとから強烈なデフレだと言われました。価格が下がるのは、景気のせいだ、自らが下げているのではないと勘違いした人もいました。
価格と価値、サービスの差別化、機能を高め、性能を向上しようとがんばる人もいました。認めてくれたのはわずかながら、お客様にもあったのです。
その価値なら確かに安い。そう言わしめた人が勝ち始めているのです。
人の行く、裏に道あり花の山。そんな古い格言が活き活きとしはじめたのが、不景気に咲いた会社だったのです。
(イーソーコ総合研究所 主席コンサルタント 花房 陵)