人づくりは社会づくり その6「続・非は理に勝たずとはいいながら」 - 137 
先刻紹介した、鎌倉市職員労働組合による事務所の不法占拠問題について、大きな動きがあったため、引き続き取り上げたい。
市が事務所の明け渡しについて横浜地裁に仮処分を申し入れたところ、却下となった。非は理に勝てぬ世の習い、多くの市民がそう予想していたであろうが、それを裏切った?横浜地裁にも言い分はある。「市は明け渡しの理由を『学童施設を建てるため』としているが、本当に学童施設が重要ならば、組合と柔軟に交渉すべきところを、組合からの妥協案に難色を示すなど、最初から組合排除の悪意が見られる(要約)」と、市の強硬姿勢を非難している。相手に非がありさえすれば、どれだけ攻撃しても許されるという訳ではない。今回の仮処分却下は、明らかな制肘と言える。閉塞感の強い世の中にあって、手っ取り早いパフォーマンスとして「公務員叩き」が不動の人気を誇るが、その動機は市政課題の改善意欲よりも、単なる「弱い者いじめ」の俗情である。
司法とてロボットではない。そうしたある種の悪意を読んだ上で、杓子定規な法判断によらない決定に及んだものと思われる。とは言え、今回の仮処分却下は即刻退去に向けて地裁が乗り出す必要がない、というだけで、組合による居座り行為に対するお墨付きを与えた訳ではない。早かれ遅かれ組合の退去は必要ながら、市と露骨な悪意に対して制肘を加えただけに過ぎない。
今回の仮処分却下を受けて、市は訴訟に持ち込んで徹底的に争う姿勢を見せているが、言うまでもなく、訴訟には多額のコストと膨大な時間を要し、その原資が市民の血税である事を考えれば、決して歓迎される選択肢でないことは明らかである。また、組合が今なお妥協と和解の姿勢を示していることが市の意固地さを浮き彫りにする現状を鑑みれば、今後とるべき態度については熟慮が要求される。
最近訴訟の多い鎌倉市であるが、真に市民の公益に供する行政の原点に立ち返ることを期待する次第である。
(フリーライター 角田晶生)2016.02.20