ソーシャルアクション 
ソーシャルアクションという言葉は直訳すれば社会を動かすという意味だが、昨今では社会福祉の充実をはかるための活動を指す場合が多い。まずは課題を提起して社会資源を開発し、それを活用することで「誰もが暮らしやすい社会」を実現していこうという活動だ。現実の一般社会においては、社会的弱者と呼ばれる立場の人々が置き去りにされることが多い。だから誰もが暮らしやすい社会の実現のためには、この社会的弱者と呼ばれる人々のニーズをくみ取ることが大切とされている。そのニーズに応えることが社会資源の整備につながり、結果としてそれを必要としていなかった人々の暮らしの向上にもつながるとされているからだ。
ニーズをくみ取り、実際に社会資源として整備するのは主として行政が行う。民間や非営利団体、福祉団体などが整備することも少なくないが、大規模な施設を開発したりするにはやはり行政が果たす役割が大きくなる。行政は必要な社会資源を判断し、それを施設というカタチで適切な場所に、適切な規模で整備していくのだ。だが時に、その施設が適切なのか否かについて疑義を唱える人々がいる。それは施設の目的であったり、規模であったり、場所であったりする。
市民の税金を使って市民のために整備するのだから、その意見は最大限に尊重されるべきだ。適切ではないという意見が出されることも大いにあり得るし、たとえネガティブなものであっても意見は活発に交わされるべきだろう。自分は必要としていないから施設はいらないという意見。自分が住む町には相応しくないからそういう施設はいらないという意見。そういう施設をつくられると町の雰囲気が良くなくなるという意見。街のブランド力が下がるからいやだという意見もある。高給住宅地だと信じて買った場所に児童相談所なんかできるのはいやだという意見もある。だがそれがどんな意見であれ、議論を尽くした上で施設は整備されるべきだ。
たしかに不動産的な見方をすれば、こうした施設が地価を上昇させると言うことはできない。地価の高い土地ではなく、より地価の低い土地につくればそのぶん設備に資金をまわせるという考え方もある。しかし社会資源としての福祉施設を不動産的な価値基準だけで判断してしまっては、その本質を見誤りかねない。
そもそも福祉における社会資源とは、施設だけではない。制度や情報、資金や物資、あるいは知識や技術など、要するに福祉ニーズに応えたり課題を解決したりするために活用できるものは全て「社会資源」なのである。ビルだって倉庫だってトラックだって社会資源となり得るし、ブランド力の高い高級住宅地だと信じられている地域だって、それを活かすことができればまるごと社会資源となるのだ。そして街の豊かさやブランド力とは本来、この社会資源の質によって判断されるべきものなのである。
繰り返すが、福祉の目的の一つは誰もが暮らしやすい社会を構築することにある。本来の福祉の目的からいえば、福祉に反対の声を挙げる層にとっても暮らしやすい社会をつくらなければならないのだ。地価が高ければエリアの価値が高いという単純かつ素朴な価値観を信じ、ブランドという言葉の意味さえ理解できず、自分自身が街の価値を下げているということにも気が付かないような人々にとっても、暮らしやすい社会を実現しなければならないのである。そんなわけで、本稿が彼らにとって社会資源としての役割を担うことができれば、こんなに嬉しいことはない。
久保純一 2018.11.05