リノベーション3回転半ジャンプ 
不動産経営の専門誌では、「立地を逆手に」とか「築年数に負けるな」といった見出しを良く目にする。裏を返せば立地が悪く築年が経過した物件はそれだけ苦戦するということで、誌面にはさまざまな事例と対策なんかが載っていたりする。
で、その手法としてよく挙げられるのがリノベーションだ。もはや言うまでもないが、リノベーションとは単なる改修やリフォームではなく、物件に何らかの機能を添加することで新たな価値をプラスする、という概念だ。プレイヤーによって定義に差はあるが、「新たな価値の付加」という核心部分は共通していよう。
そのプロセスを逆算すると、新たな価値をプラスするためにはこれまでにない機能の付加が効果的だから、そのための工事が要るということになる。ここから、リノベーション=改修を伴う、というセオリーが生まれ、それは今もおおむね通用する。
ただ、このセオリーにも問題はある。それは、いちどリノベーションされて「新たな機能」を獲得して生まれ変わった建物は、「生まれ変わった建物」でしかなくなってしまう、ということだ。工場をリノベーションしてカフェになった建物は、もはや「カフェ」なのだ。ショップになった古い旅籠は「ショップ」でしかないし、ギャラリーに生まれ変わった写真館は「ギャラリー」で、もう写真館ではない。それが悪いというのではない。ただ、問いたいのだ。リノベーションした挙句失敗したら、次、どうするの? と。
建物の誕生が1回転目とすれば、リノベーションで再生されてからは2回転目である。筆者は3回転目に入った事例を、まだ知らない。リノベーションしたものの目論見通りにいかず、運営者や運営手法、用途などを変えて再出発した事例はある。しかしそれはいわば2回転半、といったところ。前任の負債を引き継いだに過ぎず、そこをさらに「リノベーション」して3回転目に入ったとはいえない。
「カフェにすれば人が来る、イベントをやったり地域の人とつながれるような取り組みもどんどんやって、街にも活気を取り戻せる。だからカフェにしよう!」
筆者はその情熱を否定するものではない。でも、人がどんどん減っていく商店街にぽつんとカフェをつくったところで、その影響力はすごく限定的なのだ、ということははっきり言っておきたい。建物をひとつリノベーションしたからといって、地域の人の意識はそうそう変わらない。ソフトに勝るハードなど、よほどの好条件がそろわないと構築できるものではないのだ。
リノベーションされた建物だけが取り残された商店街で、人は何を思うのだろう。いや、建物だけが残されたのならいい。リノベーションするための借入金は、だれかが返済を続けているのだ。繰り返すが、「ハードの構築」を否定しているわけではない。ただ、ソフトを無視したハードの整備は、結果として以前より状況を悪化させることになりかねないということは、念頭に置いておくべきだ。
大切なのは建物の改修ではなく、その建物に関わる人々、その建物が立つエリアの人々の意識の改修なのである。そのうえで、改修しないリノベーションというものを模索してもいい。建物に機能を付加するためには改修しなければならない、という構図を崩すことも、できるはずである。
久保純一 2019.6.5