法と倫理(チャンスとパーミション)− 第10回 詳解 物流不動産関係法令
マックス・ウェーバー著『プロテスタンティズムと資本主義の精神』は学生時代に読まれた方もあるでしょう。「資本家や事業家というカネの盲信者であっても、倫理という誠実さが欠かせない信仰という奉仕観が無ければ大成しない」とあったような、なかったような。薄覚えなのですが、倫理と誠実という不安が200年も昔から論破されていた点に、現代を見据えていたとは驚きです。
税法にしろ会社法にせよ、事業展開の最低ルールを定めているものです。国家が国であり続けるためには、美しい国語を守り、国民の常識を高めてゆくことが大切、そのための教育改革だったのに阿部さんは敵前逃亡のような退陣をしてしまいました。臨時国会の意味や演説と組閣組み替えの“社会科教科書的な解説”が子どもにできなくて往生しています。
法は社会の倫理を定めるモノですが、法のすき間を狙うビジネスも実際には許されます。たとえば銀行が最近注力を入れて販売している投資信託やファンド商品、これは預金や国債とは別物で「元本保証」していません。証券会社が株式よりも低リスク商品として併売してきたものです。
顧客ニーズの展開によって、「ハイリスク・ハイリターン商品」「ローリスク・ローリターン商品」の中間を行くのが投資信託やファンド商品群です。
きちんとした商品説明を行えば、顧客にリスクを理解してもらい、納得してもらうという<パーミション>が事業の幅を広げます。
銀行が証券会社と商品群で重なっている現在、顧客は銀行に納得感をもっているのでしょうか。預金というローリスク商品とファンドというハイリスク商品の区別を、同じ店舗の同じセールスマンから本当に納得して、理解して購入できるのでしょうか。低金利時代が長引き、銀行ユーザーの不満が高まっているから、新商品としての高金利商品を品揃えするのは順当なビジネスです。
しかし、自社と顧客にとってどれがチャンスで、どんなことがパーミションの洗礼を受けなければならないのか、倫理と誠実がそれを裏付けることになるのでしょう。
この9月、金融商品取引法が完全実施されました。我が国では法律の抜け穴にファンドビジネスがありました。次回はそのあたりを解説します(続く)。
イーソーコ総合研究所・主席コンサルタント・花房陵