世界は待っていない − 第12回 クライシスマネジメントと物流対策
東日本大震災では、PRAY FOR JAPAN 世界中の祈りが、善意が、支援の志が日本に届いた。最悪の地震と津波被害に 世界はひとつとなって、人類の課題として取り組んでいた。助け合うこと、救いあうこと、命は地球よりも重たいことを目の当たりにしながら、日本政府は世界 を裏切ってきた。
福島原発事故はレベル7という、地球汚染の危機を招いてしまった。それを非難するのが当然なのに、責任を追及して、莫大な賠償を要求しても仕方がないのに、世界はじっと待っている。
日本の経験を生かすために待っているのに、報道も報告も再発防止策もウソまみれだった。
放射能汚染物質は太平洋を越えて、世界の海に広がってしまった。海洋資源に安全はもうなくなっていると言える。それでも、日本を攻撃する気配はどこにもない。世界に大きな借りを作ってしまったのだ。次の世代に夢ではなく、悪夢を残してしまった。
世界は沈黙している。日本のこれからを待っているのだ。汚した地球を取り戻すために、世界の英知を束ねる責任は日本にある。医療、化学、詳細な研究、再発予防の技術や指針を待っているのだ。
産業界はすでに先に行ってしまった。日本のお家芸であった自動車や家電、デジタル機器は、アジアに敗れ、北米に遅れ、欧州に先行されている。
震災前から始まっていた産業転換が、世界ではすでに進み始めている。取得ではなく利用、購入ではなく、使用。保有ではなく共有、資産ではなく消費。
脱工業、脱生産、脱消費がどんどん進行している。豊かさは消費ではなく、幸福は蓄積ではない。そんなライフスタイルが世界中で始まっている。
グローバリズムとは、心理学だと喝破したのはドラッカーだった。中国では自動車は写真で見る憧れだったものを、保有と消費が可能と思うようになっ た。欲望が世界中を駆け巡り、足りないならば、奪おうとするだろう。自動車が走ればガソリンが、エネルギーが不足して、再び紛争が当然の心理となるだろ う。石油資源は2000年に開発ピークを迎えた。ハバード・ピーク理論は正解で、これから発掘生産性はどんどん下がってゆく。アジアの自動車がガソリンを 消費するなら、ピークからの低減に歯止めは利かず、新たな資源強奪紛争が起きるだろう。
しかし、その気配はない。奪えば足りず、分ければ余る。資源紛争に決着はつかないからだ。限られた地球資源を爆発する人口で分け合うなら、生産も消費も よりエネルギーを抑えなければならない。エネルギーが必要ならば、生存以外には回らなくなることが明らかで、世界は消費を抑えようとする。幸福は消費では なく、自然やエネルギーとの共存であることを宗教が、哲学が、文化が証明している。日本だけがいまだに生産と消費と蓄積をもくろむなら、日本の再生を世界 は待たない。
物流の役割は備蓄や消費ではなく、必要なものを届け、利用させ、そして回収して次へ回す分配と再分配を繰り返すことになる。一層のち密さで幸福を届ける ことが使命になるだろう。医療教育観光の産業で、これが求められる。効率的な活動ではなく、人類幸福への使命でなければならない。
経済的合理性から、資源やエネルギーの公平分配を満たすための活動に変わらなければならない。無駄は許されず、差別化も不要だ。協調と共同、GNPでは なくエネルギー消費量で国家の尊敬を集めるだろう。一人当たりエネルギーの消費抑制が、世界に再び日本を注目させる契機となるだろう。福島のウソは取り返 せないが、人類へのウソは償わなければならない。
汚染物質の回収と地球資源との共存に、これからの日本の技術と努力を世界は見ている。
クライシスを乗り越え、新たなステージは価値観も文化も、今までの常識さえも変わったことに気づかねばならない。競争の時代は遠くに去って、協調と共存 が求められるのだ。ならば、自社をどうやって100年続く企業に育てるか。経営者か、従業員か、社風か、マーケットか。正しいことを、着実に続けなけれ ば、100年の風雪は厳しい。一時の力や目論見や抜け駆けが続くとは思えないだろう。正攻法こそが求められている。
(イーソーコ総合研究所・主席コンサルタント 花房 陵)