産業転換とは − 第9回 国家戦略会議と物流
我が国の経済成長は終戦後の昭和30年代から急激に進んだ。年率8%以上のGNP拡大は10年ごとに倍増することになった。急速に進んだ都市化、すなわち第1次産業である農林水産漁業の担い手は都市に移動して、工業化の担い手になった。収入が違い、自営から会社務めに変わったのだ。その後、生産工業を支える流通サービスが発展して、どのような国家も1次から2次、3次産業を中心として雇用と付加価値を高めていった。そして21世紀を迎える直前に情報技術が花開き、第4次産業としてITが代名詞となった。
経済の成長は国力であり、人口の拡大も国家の安定につながる。人口爆発の中国もインドもアフリカ諸国も、人口が増え始めるきっかけがあった。それは、後進国からの離陸であり、経済的には産業が牽引している。集落単位の1次産業をとりまとめる集約農業や漁師ではない水産事業者の登場により、収穫高が高まり、安定し、雇用と労働力の需要が人口増加を引き出す。
沸騰アジアと呼ばれるように、中国は香港に代表される資本主義と共産主義という2つの顔を持つ。都市と農村は共存し、農村地帯で増える人口を都市が吸収して工業化が急速に進むという。大国の指導者は思想より経済を取る方針で100年を過ごそうとしている。この国の脅威は、いつ軌道修正が行われるかが不明な点にある。2次、3次産業の様々な成長は弊害をもたらすことが明らかで、戦後の急速な成長を自慢した日本では公害という環境破壊や企業活動に伴う弊害や代償があまりにも大きかった。
資本主義国家は国民が経済ルールによって阻害されぬよう、定期的に必ず起きるインフレやデフレの景気循環にも幸福と秩序、不平等格差を生まぬように経済に対してブレーキとアクセルを使い分ける責任がある。
我が国は順調に産業転換として、1次、2次、3次、4次と乗換が順調に推移してきた。終戦後の没落から世界第2位の経済大国まで上り詰めたが、その後はOECD先進30カ国の中でも失策続きである。お題目のように取り上げる国際競争力指標でも、一人当たりGNP成長は止まり、幸福度指標である政府歳入も低下、そのほかの失業率、貧困率や自殺者、事故死者数、国家への関心を示す選挙投票率などが例外なく悪化し、おびただしい落伍状況にある。
次の産業は何か。それによって再び成長できるか、もしくはOECD各国の中での順位を上げることができるように国家は軌道修正を図っている最中なのである。決して昨今話題のエネルギー不足や財政問題の解決によって解消できるものではないのだ。
自ずと過去の栄光を再び、と言うわけにはいかないことが明らかだ。鉄鋼、自動車、電機、住宅、通信、ITは我が国が欧米を追いかけ、追いつき、追い抜かれていく産業である。我が国の鉄が、自動車が、ITが、中国韓国アジア勢に抜かれたのは、製造コストや外国為替相場による購買平価競争力によってであった。優れた品質であるけれども、高い。それだけで競争に敗れたのである。価格競争力の根元は労務費であり、貿易条件であり、過剰品質であったからだ。
道は明らかに3つに分かれた。産業転換の方針を既存製品の原価半減か新たな3次4次産業の拡大か、はたまた鎖国時代への逆行という保護主義への道である。このうち軍事と外交に弱い我が国は保護主義を明治の開国を迫られるように貫くことはできない。
かつての製品商品を半値半額で製造流通させるにはどうするか。新たな期待産業としての教育観光環境技術をどのように拡大させてゆくのか、これこそが今必要な産業転換の話題である。物流にその役割が期待されている。
(イーソーコ総合研究所・主席コンサルタント 花房 陵)