ビル管理こわい話 
以下は、ビル管理会社を経営者する某氏に聞いた話。
某氏が経営するビル管理会社は、ある大手上場企業の本社ビルの管理を任されていた。清掃から設備の保守点検、簡単な内装工事まで、建物管理全般を請け負って数年、順調に業務をこなしていたある日のこと。突然、企業の建物管理担当者から呼び出しを受けた。要件は会ってから話す、また今回の件は内密にという担当者の言葉に、某氏はいやな予感しかしなかったという。クレームや事故発生ではなさそうだが、だとするともっと大きな問題か。不安を抱える某氏が通されたのは、いつも商談や打ち合わせに使っている会議室ではなく、高層階にある応接室。クッションの効いたソファに腰かけた某氏。もはや不安というより、なるようになれという心境だったという。
やがて管理担当者が一人の男とともに入ってきた。男は差し出された某氏の名刺は受け取ったものの、自分の名刺は渡そうとしない。「良い話」ではないと確信した某氏に、担当者が切り出す。「ちょっと簡単な工事をしていただきたいのですが、まずは可能かどうか見ていただけますか?」。
二人に案内されて向かった先は、重厚な扉のついた役員室。男がカギを開け、三人で中に入る。都心のビル街を背に巨大なデスクが鎮座し、応接セットやキャビネットは全て木製。絨毯は落ち着いた色で、毛足も長からず短からずという典型的な重役の部屋だ。室内は無人なのに空調が効いている。
「じつは、この部屋にこれを取り付けてほしいのですが」。男が茶封筒から取り出したのは、配線が飛び出た名刺入れほどの小箱。誰が見たって盗聴器だ。「一般的にはコンセントの裏などに取り付けるらしいのですが」。ほら盗聴器だ。「ばれないように、ですよね」。「そうしていただけると助かります」。
某氏は開き直り、普段持ち歩いている簡単な工具でコンセントを開けて中を確認。手持ちの工具では取り付けられないため、後日取り付ける算段をつけてその日は引き取ったという。
後で聞いたところによると、その企業では数年前から派閥争いが激化。互いの派が相手の弱みを握ろうと、陰で様々な工作を行っていたらしい。某氏が受けた依頼もその一環で、対立する派の情報を掴みたかったのだろう。盗聴器は入手したが素人では取り付けられず、かといって外部から業者を入れれば露見する可能性が増す。そこでビル管理を請け負う自分に白羽の矢が立ったのだろうと、某氏は推測する。その足の引っ張り合いはすさまじく、自殺者までだしたという話もあるという。
さて「後日」が来たのかどうかは、残念ながら聞きそびれてしまった。ちなみに某氏は今も健在で、次のように話している。
「生きてる人間がいちばんこわいよねえ」。
久保純一 2017.07.05