国家の役割 − 第8回 国家戦略会議と物流
国民には3つの義務が課されている。教育、労働、納税であり、法人や企業は同種の義務があるはずだが、明確に示されてはいない。企業は社会貢献をその理念や使命に上げることはあっても、「納税を誓い、黒字化を義務づける経営者」は驚くほど少ない。
納税なくして社会貢献とは噴飯モノだが、280万社の経営者は事実上納税回避しているとしか見なせない。黒字法人は25%の74万社しかなく、納税額は8兆円を下回る。しかも上場企業5000社は連結決算制度によって、驚くほど納税率が下がっている。
国家予算は一般会計で92兆円、特別会計を加えると220兆円にものぼる。
国家は国民の生存を保障し、企業活動が市場原理を正しく運用できるように必要な規制と助成を行ってきた。自由競争下では価格形成や不正は自然淘汰されるが、市場外部の不経済には、規制が必要となる。独占的な身勝手を防ぎ、競争を促進させるための環境整備には、最低限度の規制が抑止力とならなければ地球を破壊するまで止まらないからだ。
国家は国民や法人の納税によって、300万人の公務員が運営を行っている。
今、財政破綻を防ぐための施策が次々と打ち出され、そして効少なく問題視されてはいるが、改めて個人と国家の役割や義務、責任を考えるべき時代に突入していると言えるだろう。EU諸国やPIIGS国債(ポルトガル、イタリー、アイルランド、ギリシャ、スペイン)の事件は、返済不能となりそうな信用問題を引き起こしており、国家の公務員リストラ措置は機能不足を招こうとしている。国民の福祉が危うい状況なのだ。
日本はどうか?借金漬けではPIIGS債を上回るほどの低性能であり、いつ国債が暴落してもおかしくない状況にあるとも言われている。国家崩壊シナリオがまことしやかに語られつつあるのも事実なのだ。国家を企業に例えるなら瀕死の状況にあると言える。経費も収入もかろうじて借金によって成り立つが、低金利の効果もなくて投資は利益を生まない。毎年40兆円の国債発行はすでに700兆円まで膨れあがり、返済計画も借り換えの連続でしかなく、元本はいっこうに減らせないでいる。
そんな国家経営の状況下では、民間企業への助成や支援が手薄くなるのも仕方がないだろう。さらに、本コラムでも前述した(第4回)が、国策企業連合が長きに亘って成功しているとは言い難い事態が続いているのだ。
真に頼るべき国家政策はないかも知れないが、さりとて意向を無視することは規制違反や助成を無視することにもつながる。
きちんとした産業育成シナリオを読み解いて、自らの産業転換の方向を誤らないようにしなければならない。
自動車、鉄鋼、機械、電機、住宅といった基幹産業は、すでに冬の時代を続けているが、同じ業界に再び朝日は戻らないことは確実なのだ。下がり始めたGNPは、新たな産業を必要としており、不足する労働力と消費傾向の低下は避けられない宿命として日本は歩み始めている。
高齢化と少子化はもしかすると、新たな健康産業と教育サービスを必要とするだろうし、医療介護の労働力不足は広くアジアに求めるだろう。国際化は英語圏だけでなくアジアのためにあるのだから、文化の融合も見られるだろう。衣食、観光サービスのあり方までもが大きく変わるはずだ。
何がどのように変わるべきか。国に頼ることなく自らが切り開いてゆく必然がある。そして、製造流通サービスの業態が物流の機能向上によって、大変化を遂げてゆかねばならない。試されているのは日本だけでなく、あなたの経営力なのだ。
(イーソーコ総合研究所・主席コンサルタント 花房 陵)