資本の論理と経済成長 r>g(第13回) 物流マネー70兆円のゆくえ
トマ・ピケティ『21世紀の資本』は教授の来日東大講演によってブームを起こした。書によれば1900年からの1世紀を調べ、世界大戦は別にしても(軍需産業の爆発的成長)「経済成長は資本家の資本蓄積に遠く及ばない、労働者の格差と貧困は避けられない」という衝撃的なものだった。
企業で働く我々には所得格差とミライの貧困が証明されたとして、21世紀は明るい時代ではないことが証明されてしまった。
経済成長率は人口増加による生産と消費の拡大が前提になっている。だから世界の主役はこれからインドとアフリカと言われているのだ。それでも資本家の所得は成長を上回る蓄積が進み、世界のスポンサーでもある日本は海外投資が膨らむことになる。
目に見えていない資本家と労働者の違いは、マルクス経済学で語られるような搾取と抑圧の関係ではない。日々の生活に追われるか、不労所得で安閑としていられるかどうかの違いとなって、誰もが気づかずに確実に線引が行われているのだ。
物流は豊かな社会、活気ある経済の下支えを行ってきたが、労働者であることに違いはなく、賃金は絶対に上がらず、地位も復活できないことが証明されたも同然だった。
格差を回避して不平等をなくすには、所得の再分配が必要であり、それが税制改革につながるべきものだ。先程の衆議院選挙の論点はここにあったはずだが、語られることはなかった。
日本はひどい所得格差と教育難民で覆われつつある。
高等教育としての大学進学率はようやく50%を越えたが、OECD先進国平均では62%である。
これからの産業に知的財産、情報技術、英語、コンピュータは欠かせないのに、それに触れる機会が若者には足りない。
すべてが通学する大学でなければ学べないわけではないが、総力を上げて知価革命が進む世界では、僅かなチャンスも欲しいはずだ。
物流が手と足だけの作業で済むなら、人手不足も10年待てばロボットに変わる。文句を言わない労働者が欲しいなら、漢字を読めなくても良いはずだ。
豊かな社会と成長のために、学ぶ機会が何より重要なのだ。
<イーソーコ総合研究所 主席コンサルタント 花房陵>