流通経済大学での講義に手応え(その3) 
最終回となる第三回目は、衝撃のアンケート結果についてお話します。
結果から申しますと物流業界への就職希望者は2割程度で、大半の学生が流通業界への就職を希望しております(Q1参照)。物流業界への希望者が驚くほど少ないのは、第一回で紹介したように、物流業界が知らず知らずに世間にネガティブキャンペーン的な情報を発信していることにあります。
物流不動産ビジネスについては授業を通して大声で有益性を説明したこともあって、8割近くに興味を持ってもらえました(Q2参照)。興味を持った要因としては、「競合者が少ないブルーオーシャンのビジネスであること」、「物流の勉強を活かせること」、「今なら先駆者的な立場をとれて、高収入であること」などが魅力的にみえたようです。やはり業界を魅力的なものにしなければ、優秀な人材はもとより、人材そのものが集まらないのは当然です。
さて今回の学生達とのふれあいで、若いころを思い出しました。
私が社会人になりたての頃、東京佐川急便のドライバーは「セールスドライバー」と呼ばれ、運転に加え、営業開拓、清算業務までマルチにこなしていました。その多くが将来の独立資金作りのために働いていた。
佐川のドライバーに友人がおり、飲みに行くと稼いだ給与の自慢とともに目を輝かせて独立の夢を熱く語っておりました。実際に独立して成功した人もかなりおります。有名な居酒屋チェーン・ワタミの渡邉美樹会長も、物流業界では年商1千億の売上を誇るSBSの鎌田社長も同社で働き、開業資金を作った人たちです。
しかし今では「月収100万円」も大昔の話となりました。92年の東京佐川急便事件以降、給与システムが変わり、資金作りのため働く「ガテンドライバー」がいなくなりました。当時はその労働の激しさから「ドライバーの耐用年数は日通10年、佐川3年」などといわれていましたが、高収入とともに夢があったからこそ前向きな人が集まり、また頑張れたのだと思います。今では「耐用年数3年」の厳しさだけが残ってしまったようです。
イーソーコには、多方面から倉庫への問い合わせがあります。
一昔前までは物流業を立ち上げたばかりの物流ベンチャーからの問い合わせが頻繁にあり、その大半は佐川の出身者でした。
彼らは当時の物流業者がやらないような細かい物流加工や作業を請け負い、アイディアとシステムで物流を改革しておりました。現在では、物流をベースに通販、飲食、不動産、コンサル、ビルボードへと多種多様な業界へ進出し成功しています。佐川時代に培った顧客開発と物流を活かしたビジネスの実践力に独立心が加わり、成功したものと思われます。
今回のアンケート結果をみて、昔の佐川のセールスドライバーのようなヤル気と夢をもった人材を、「物流ユーティリティープレイヤー」という形で物流業界へ送り込みたい、育成したいという思いを一層強くしました。物流業界を今一度、夢のある業界にすることが、業界活性化の一歩であることを確信しました。
繁栄のためには、出来るだけ多くの優秀な人材を集めることがカギとなります。それは企業も、業界も、国家も同様です。2015年からは決意を新たに、人づくりに一層の力を尽くしていくことをあらためて決意しました。
(おわり)